友澤明氏は近世武家文化史、鎧兜の研究が主。
先日のラジオドラマ「小松藩心中」の後の西条市長との対話の興味深かったです。
「伊予聖人」近藤篤山先生は1766年土居町の農家で生まれる。両親の離婚飢饉により、父は別子銅山の山役人になり、人里離れた山での厳しい生活を送った。
勉強する声が山に響いたと言う。
23才で大阪へ、尾藤ニ州より朱子学を学び、江戸の昌平校で学ぶ。
そのまま居たら、今なら東大教授となっていた所である。
帰郷し川之江で私塾を開き四年目、山役人の父が退職し、一緒に暮らしたいと思っていた所小松藩に招かれ藩校「養正館」の儒官となる。
小松藩は給料を増やすだけの元がない。篤山先生に教育を授けて貰おうと考えた。
誠実で心優しい篤山先生。
学問を志す人はそまつな着物、食事を恥じてはいけないと言っていた。81才で亡くなるまで親の墓参りを欠かさなかった。
小松藩が小さいながら住民の教育意識や民度が高いのは篤山先生のお陰と沁み入りました。
西条西倫理法人会 専任幹事 堀川智恵子 「所属 三嶋神社」 (著)
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